「障害者アート」展にいくつか行ってきました。
こんにちは。山口です。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
私は先日兄貴の結婚式のついでに観光してきた大阪城の人混みのダメージ(疲れ)を引きずりつつ、今日は一人で箱根に来ております。癒し!けど寒し。日もずっと陰っている。春まだ浅い今日この頃、って感じですね。
俺割とちゃんと人見知りなくせに友達いないので一人でいろんなとこ行っちゃう系なんです。去年は(ほぼ)一人沖縄も楽しめちゃったので一人箱根などもう当日の気分で決めちゃいます。
箱根湯本には愛してやまないカフェがあるんですねー。
今こんな感じです。
Timuny.というお店です。落ち着いてじっくり考え事したいときなど最高です。ぜひ。
さて、最近、というかここ数年気になってることのひとつが「障害者アート」ってやつなんです。中野駅前とかでたまにイベントやっていますね。
仕事でたまにかかわってたのもあるんですが。
障害のある人というと、障害の程度は十人十色です。
重度心身障害といわれる、程度が最重度の人にも日々お会いしています。
障害が重い方も、アート活動に参加するようです。
詳しく知っているわけでは全然ないのですが、絵をかいたり作品をつくったりする活動内容が多い印象を受けます。
十人十色なので一人でどんどんやる人もいれば、手が動かなかったり細かな意思表示が中々汲み取り難い人には職員が横についていろいろとお手伝いをしているようです。
その人が筆を持つ手を職員が支えて、職員が絵の具の色を選んで、職員の判断で作品の完成を決めて、「きれいに描けたね」「素敵な色だね」とたたえているような場面をよく見てきました。
美術館なんて行ったこともない僕なので、アートって何なんだろうなーと、悶々としましたし、今でもしています。
職場の大好きな先輩に、ずっとデザインのお仕事をされてきた人がいて、その人と恵比寿で日本酒を飲みながらそんな気持ちを話してみたら
アート作品って、表現したい!って思いがしっかりあるかどうか
みたいなヒントをもらいました。
それからすぐに、人生初の国立新美術館や世田谷美術館などで開催されていた「障害者アート」展にいくつか行ってきました。
感想は、とにかく疲れた!
作品を見ながら受けるパワーがとても大きかった。
また、疲れない作品もありました。
この違いは何だったのでしょう。。
作品を見るほどに、「障害者アート」、アウトサイダーアートやアールブリュットといわれるもの、そして表現するっていったい何なのだろうとどんどんわからなくなりました。
「障害者アート」作品を見る人には、障害者といわれる人と関わったことがない人も多くいると思います。
作品を見て、障害者でもこんなに素敵な作品を作ることができるんだ!みたいな感想を抱くのだとすれば、それには少し違和感を感じるのです。
その作品は、その人が本当に表現したいと思ってできたものなんだろうか?
アート作品ではなく「障害者アート」と形容することにどれほどの意味があるんだろう?
障害理解って、アート作品のようなものを通じてどこまでできるものなんだろう?
理解した気になってしまうだけでは?
表現って、絵や作品をつくることなのか?
…
俺がかなりめんどくさい人間だと気づかれ始めたころでしょうか。笑
ただ、僕らきいちがやっていきたいことも「表現」だと思っています。
(発信という言葉が個人的に苦手なので、発信と表現はしっかり分けて行っていきたいのです。)
僕らの表現って何なんだろう。きいちのデザイン担当(笑)として考え続けていくつもりです。